放課後は 第二螺旋階段で

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「三号突撃砲短砲身型 1940-1942 オスプレイ世界の戦車イラストレイテッド 4」で戦間期の装甲戦闘車両の設計思想を知る。著:トム・イェンツ ヒラリー・ドイル イラスト:ピーター・サースン 翻訳:富岡吉勝

 積読からオスプレイ世界の戦車がもう一冊出てきました!早速読み終えました!(ガルパン式語尾)

 ドイツ生まれの新分野「突撃砲」の中でも極初期に当たるのが A〜E型で短砲身の三号突撃砲です。この車両の思想はイタリアにおいてセモヴェンテ、ハンガリーにおいてはズリーニィとしても結実しました。

 大戦後半においては主砲を 75mm L48 にまで強化して活躍し続けた本車ですが、構想段階では 75mm L24 と短砲身で最大装甲貫徹力はわずか40mm程度、視界優先のオープントップと割り切った設計思想が戦間期らしくて面白いですね。これがあれば砲兵の自走化と歩兵砲の自走装甲化と対戦車砲の自走化が一石三鳥で進むという考えもあったのでしょうか。

 初期の改良において射程6000m程度での間接照準能力も与えられたようです。実行シーンを何かで読んだ記憶は全然ないのですが‥‥

 ほか戦間期らしい発想としては、何よりもまず対戦車陣地の破壊が最優先で、そのために射界が取れる位置をあらかじめ得る方針を基礎にしていたという点もあります。敵も味方も戦車出現時の迎撃一番手は対戦車陣地となるためその撃滅が第一の目標となり、次が味方歩兵の攻撃支援であり、戦車同士の潰し合いになるシーンはほとんど想定されていないのです。一応初期から HEAT弾 が用意されてはいますが、貫通力は45mmから、改良されても75mm程度と口径の割に小さなものでしかありません。

 東部戦線の緒戦における戦訓も現在の戦車感覚とはやや違ったもので「突撃砲は装甲を持つため遮蔽が必要な歩兵に比べて視界が取りやすい」「光学機器により視程も長いため歩兵から目標指示を受ける必要はない」というものになっています。