放課後は 第二螺旋階段で

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世界戦史は弾量が決める 「兵器と戦術の世界史」 金子常規

 これはオススメの書籍です。

 本書のタイトルはかなり大づかみなものですが、実態は著者の経歴を見れば一目瞭然で「砲兵から見た世界戦史」となっています。

1916年(大正5年)生まれ。陸軍士官学校卒。49期砲兵。自衛隊に入隊後、幹部学校戦術教官、特科群長、富士学校特科副部長を歴任。2000年(平成12年)逝去。代表作に「砲兵の変遷」「戦の或る系譜」「日本兵乱略史」など。

 読む前の状態が思い出せなくなるほど思考法への影響が大きい戦史系の本として「補給戦」以来のものとなりました。

 適切な設問が得られる機会が無く身体から骨格を取り出すのが難しい状態にあるこの本については、まとめメモ程度の感想となります‥‥

■砲兵火力とは?

  • 砲数×連射速度=火力(ある一定容量のエンジンシリンダーの数×回転数=馬力に近い思考方法)であり、砲弾はその過程で大量消費される燃料であるため、保有可能な大砲の門数はそれの製造能力以前に補給能力に拘束される。
    • 現代の先進国でも砲を1000門保有している事などないのは砲弾の製造・輸送の限界のためであろう。
      • 砲兵の絶対的コストと比べれば、直接照準で撃ち合う戦車の車両価格は全く安価なのである。第二次世界大戦の砲兵戦が第一次世界大戦より薄く機動性偏重となったのはこれによる。
  • 日露戦争前の日本軍も砲兵は有力でありその源は弾量にあると認識していたが、費用対効果(殺傷数)が良好でなかったため同コストで歩兵の数を増やす方が有力であると判断した。
    • 日露戦争でさえ砲1門あたり月間400発を消費し、うち200発を輸入に頼る状態におかれ、それでも砲兵が戦場の神となることは無かった。これは当時の砲弾の技術レベルによるものだが重い負担であった。
  • 第二次世界大戦期のドイツ軍が機甲部隊による機動戦重視で、砲兵部隊を集めての砲戦シーンに乏しいのも資金難による。
    • 鈍重なソ連軍も裏を返せば細かなことに動じず力を一点に集中させていると見ることができる。
      • 機甲部隊は機械化されているが、砲兵部隊は自走化されていないため、追従できず支援も十分に行えない。地上攻撃部隊が「空飛ぶ砲兵」となったのはこの埋め合わせに当たる。
  • 砲兵火力とは弾量であるという思考を基礎に第一次世界大戦においてガス弾のもたらした結果を考えると、これは本当に素晴らしいものである。ごく少ない弾数で敵軍を壊滅、それができなくても行動不能に追い込めてしまう。「ドイツは毒ガスにより、リガ攻勢でロシア軍を壊滅、続いてイソンゾ攻勢でイタリア軍も壊滅」と一行で戦争を終わらせてしまうのだ。
    • 強固な陣地を構築した敵部隊でも根こそぎ破壊できる核砲弾もまた素晴らしいはずである。
      • 大量破壊兵器は通常兵器と比べてトータルで安価なため、国際社会を無秩序に突き落とす可能性が大であると規制されるのも当然である。
  • この著者の視点でさえ、対砲兵戦を受けた砲兵はほぼ全滅に追い込まれ、練度の向上もドクトリンの遅れに対しては無力であると考えている。
  • 砲兵の意義と理想を考えれば考えるほどに理想は Pzh2000 のスペックに接近する。
    • 射程・瞬間弾量・即応性・機動性・指揮通信・砲弾飛翔精度・対砲兵射撃耐性と全てが手に入る。

■砲兵の歴史

  • 鉄を生み出したヒッタイトの人々は燃料の木がなくなる度に移動を続け世界各地に知識を伝えた。ファンタジー世界の住人のようである。
  • ローマ軍団の優位点の一つとして、カタパルトの保有数の多さがある。
  • 砲兵は打撃力が特徴の工兵兵器から出現した。この力は騎士の社会的地位を脅かすものでもある。
  • 戊辰戦争の段階で既に銃砲火力により勝敗が分かれると認識されていた。
  • 友軍超過射撃は日本においては日清戦争から始められた。
    • 装薬の燃焼不良による同士討ちの可能性があるため絶対安全と言い切れない。

■現代砲兵戦完成なる第一次世界大戦

  • 間接照準・阻止弾幕射撃・移動弾幕射撃・攻撃準備射撃など多数の戦技を組み合わせた戦術が確立されたのはこの頃だろうか。
  • 第一次世界大戦時までの機関銃は本質的には直接照準の歩兵砲ではないだろうか。
    • 歩兵を圧倒する弾量による高い防護能力を持つが、物資の消費量は相応に多い。
      • 歩兵銃のライフル化が始まってからもしばらくは射程と弾量を効かせた一斉射撃で勝負をかける手法は重視されていた。これで直射の砲兵を撃破して身を守ることもできる。

■評価異なる第二次世界大戦期の日本陸軍

  • 島嶼部における水際防御作戦の放棄に対して否定的である見方が独特であるが、非常に専門的なため一言でこうであるとまとめる事はできない。
    • 島程度の縦深では水際防御をあきらめて敵艦砲射撃を回避しても、橋頭堡から敵砲兵と戦車が上陸して来るため逆襲の機会が失われるだけではないかという方向から思考を進めている。
    • 強烈な艦砲射撃が行われても、十分な準備期間をもって適切な陣地構築が行われていれば現実的な弾量で破壊し尽くすのは不可能であり、抵抗力も失われない事が分かっている。(ある程度の抵抗の後全滅したため詳細不明)
      • 特に強固な陣地からの攻撃破砕射撃の繰り返しが理論上最有力となるのだろうか?
      • 全滅覚悟の攻勢に出ずゲリラ戦を続けても、島にいる敵兵を殺せるだけで戦局全体から見れば無意味であるという思考に近いだろうか?
  • 日本軍は歩兵の単位当たりの戦闘力評価を下げ、正面長あたりの投入数を数倍にまで増大させ突撃火力を高める人海作戦を取れたのではないかという発想は現代的常識からかけ離れているが一理ある。
    • 戦車が全く弱体、砲は対砲兵射撃でたちまち撃破される状況で島を守り切るならこれしかない。
  • 沖縄戦における特攻機を単純に弾量として見ると米軍上陸部隊を阻止できる可能性は皆無であるため、陸上部隊がこれに協調するのは不可能だった。
    • 結局の所、航空部隊指揮官の自己満足にすぎない。

■関連推薦 Webサイト

いろいろクドい話 » 砲兵の仕事
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